古くからアートと深い関わりのある太宰府天満宮。
九州国立博物館の誘致や現代アートの展覧会の開催など、今に続く歴史をご紹介します。

当宮のご祭神 菅原道真公(天神さま)は、「学問の神様」のほか「文化の神様」としても古くから崇められています。
このような信仰が広まった背景には、時代ごとに人々の間で重んじられた思想や文化などが影響していました。
さらに、和歌や連歌、歌舞伎、書画のご奉納を通じて、太宰府天満宮は文芸・芸能・芸術、いわゆるアートと関係が深くなっていきました。
また、天神さまをご崇敬するにあたり、そのお姿を描いた御画像、縁起絵巻、ご祈願のための絵馬など、その時代を生きる作家たちが渾身の作品を天神さまにご奉納してきました。
その中でも、奉納絵馬は九州屈指の質量を誇り、それを掲げた絵馬堂はギャラリーとしての役割を果たしています。

当宮から歩いて7分の隣接地に九州国立博物館があります。
平成17年(2005)に開館したこの博物館の誘致には、実は太宰府天満宮が深く関わっていました。
博物館誘致の起源は、36代宮司西高辻
従来、神社などの宝物が一般に公開されることは稀であり、身近に芸術に触れる機会を提供した先進的な試みとして、とても注目されました。
その20年後の明治26年(1893)に、この博覧会の思想を受け継ぎ、太宰府天満宮を中心に、太宰府に「鎮西博物館」設置を求める提言がなされ、政府より許可されました。これは、日清戦争の勃発により実現には至りませんでしたが、九州国立博物館設置のきっかけとされている明治30年(1897)の岡倉天心による提唱に先立つものでした。
博物館誘致の運動は、その後も地元の人々や太宰府天満宮、西高辻宮司家(38代信貞、39代信良)に引き継がれました。
昭和46年(1971)には、博物館用地として当宮より5万坪の境内地が福岡県に寄付され、その後も数々の努力が続けられ、遂に九州国立博物館の開館が叶いました。
いつの時代も文化の発信地として世の注目を集めてきた太宰府。
現在も、さまざまな分野で活躍中の文化人・アーティストを惹きつけてやみません。
平成18年(2006)からは太宰府・太宰府天満宮の魅力をさらに引き出し広めるため、アーティストが太宰府での取材・滞在を経て特別に制作した作品を発表する「太宰府天満宮アートプログラム」を展開しています。
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