
竈門神社の上宮は宝満山の頂上に、下宮はその
大宰府政庁が設けられた際、鬼門除けに
宝満山は神が宿る山として、竈門神社は「縁結びの神様」として信仰を集めています。
また、春は桜、秋は紅葉が美しく、平成25年に御鎮座1,350年を迎えました。

文永10年(1273)、菅原氏の生まれである鉄牛円心和尚が創建した臨済宗東福寺派に属する禅寺で、渡唐天神の伝説の起源となったお寺でもあります。
お寺の前庭は、石を配して「光」の字を表す「仏光石庭」、また奥の庭は、白砂で大海を、苔で大陸を表現した「一滴海庭」となっています。
紅葉と苔が美しく、苔寺の名称で親しまれています。

天智天皇(在位668~671)が、筑紫で崩御されたご生母 斉明天皇(在位655~661)のご冥福をお祈りし創建しました。
完成は70年近くあとの聖武天皇の時代です。
また、僧尼の受戒の場・戒壇院を設置し、九州の多くのお寺を管理下に置き「府の大寺」とよばれました。
日本最古の梵鐘(国宝)があり、重要文化財の18体の仏像、舞楽面、石造狛犬などが安置されています。

道真公が禊祓(身を清めること)をして登頂し、七日七夜にわたって皇室のご安泰と国家の平安、ご自身の潔白を天に拝しお祈りし続けたことが山の名称の由来となっています。
秋の「神幸式大祭」では、夜から朝方にかけて大門地区の方々のご奉仕で「迎え火」が焚かれます。
山頂には、道真公の

道真公が2年間滞在された場所であり、「榎神社」古くは「榎寺」とも呼ばれています。
秋の「神幸式大祭」では、道真公の
近隣には、先立たれた道真公のお子様である隈麿さまのお墓があります。また、道真公をお助けしたという
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行宮 …一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設のこと。

白村江の戦い後、博多湾からの外敵を防ぐために天智3年(664)、大宰府の防衛施設の一環として築かれました。
防塁は全長約1.2km、高さ約9mあり、東西の門の跡地には礎石が残っています。
水城跡は、国の特別史跡に指定されており、その近辺は幾筋もの鉄道・幹線道路が通る九州の交通の要所となっています。

白村江の戦い後の天智4年(665)、百済からの亡命貴族の指導で大野山(四王寺山)に築かれた朝鮮式の山城です。
敵が攻めてきた際に防戦するため、
土塁や石塁、数箇所の城門を設け、倉庫などの建物も建てられていました。
現在、国の特別史跡に指定され、歴史公園として整備されています。
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